誕生日





『愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ。』
                      ―ヘルマン・ヘッセ―


 ラファエル・ソレルは、もとより自分の誕生日というものを特に意識したことがありませんでした。
というのも、彼がまだ幼い頃、つまりフランス貴族の名門ソレル家の嫡男だった頃、誕生日に、専属の料理長やキッチンメイドたちが、いつもより腕によりをかけて作ってくれるご馳走は、形式的なものとはいえ、それはそれで嬉しいものではありましたが、祝いの食卓に着いた直後、彼の両親は決まって、「お前は今日から○歳になったのだから、ソレル家の嫡男としての相応しい振る舞いを心掛け、責任を自覚し、より一層勉学と武芸に励み云々」といったお説教を彼に浴びせかけ、それは目の前に並ぶご馳走の嬉しさを霞ませてしまうには十分すぎるものだったからでした。そして両親のそういった類のお説教は、別段誕生日の節目だからといって珍しいものではなく、普段でも日常的になされていたことだったので、幼いラファエルは、両親のお説教が始まると、彼らの言うことを右の耳から左の耳へと聞き流し、頭の中で薬草の名前を順番に唱えるのが癖になっていました。
ソレルの家当主となってからは、流石に両親もお説教はしなくなりましたが(正確には、前当主である彼の父は既に亡くなっていたのですが)、代わりに各地から集まってくるソレル家ゆかりの出席者たちの祝辞を聞かなくてはならなくなり、当主となったラファエルは、出席者たちの形式的で退屈な祝辞が始まると、彼らの言うことを右の耳から左の耳へと聞き流し、頭の中でチヤールやロンサールなどの詩を諳んじるのが癖になっていました。
そんなふうに、特に誕生日が楽しみだったことのない彼でしたので、他の人間がなぜ誕生日というものを喜んで祝うのか理解できませんでしたし、没落して南フランスへと逃れ、エイミと共に過ごすようになってからは、最早誕生日の祝いすらすることもなくなり、頭の中で薬草の名前を唱える癖も詩を諳んじる癖もなくなりましたが、その代わり、自分が誕生日を迎えていたことを一日二日経ってから思い出すこともしばしばでした。

 「そういえば、私は昨日で30歳になったのであったな…」
ラファエルは、この年の誕生日も、一日過ぎてから思い出しました。
爽やかな朝。朝食のひととき。向かいの席には最愛の養女エイミが座って、無言でパンを千切ってはスープに浸して食べています。屋敷の主一家が長旅に出てからは(正確には、客人であったラファエルに毒殺されてからは)、ラファエルとエイミと使用人数人だけの、静かで穏やかな日々が続いていました。気候の良い南フランスは、外を吹き抜ける風は冷たくなってきたものの、日差しはまだ暖かで、ラファエルとエイミが朝食を取っている部屋の中は、窓から差し込む光のおかげで、まだ暖炉の火を炊かずとも十分過ごせます。ラファエルがおもむろに発した呟きも、朝の陽光の中に溶けてゆきました。
ラファエルは果物をつまみながら、思えば30歳になるのもあっという間であったな…。この分だと、40歳、50歳になるのもあっという間であろう。油断しているとすぐに体が鈍ってしまうから日々鍛錬しておかねばならぬなどということを考えていましたが、それもほんの短い間だけのことで、30秒後には、今年の麦の収穫や税関に出す書類やリュートの修理の手配やエイミの剣術の稽古のことなどを考えていました。
 やがて朝食が終わり、麦の実り具合を確かめ、書類も書き終わり、職人にリュートの修理を注文し、太陽が空の一番高い位置に差し掛かった頃、エイミに剣術の稽古をつける時間になりました。
ラファエルは一人ホールでエイミを待っていました。いつもはエイミが先にホールにいて待っているので、今日は少し珍しいなと思っていると、扉が開いてエイミが入って来ました。左手にはいつものように練習用の剣が、右手にはいつもと違って花束が握られています。その花々が、花屋で売られているような高価で整ったものではなく、ちょうど今頃の季節にその辺りに生えている野草であることは、植物に詳しいラファエルにはすぐにわかりました。実際、彼女が着ている服の裾や指先には、ところどころ土が付着しています。
エイミはとことことラファエルに歩み寄り、静かに花束を差し出しました。
「エイミ…これは…?」
ラファエルが、いつもと違う彼女の行動に驚きながら尋ねると、
「…誕生日、だから」
エイミは、短く答えました。
その瞬間、ラファエルは、初めてエイミと出会った瞬間、初めて他人に助けられた時の衝撃を思い出し、彼の中で、エイミに対して芽生えた初めての感情が再び蘇って来て、
「まさか、30にもなって、初めて誕生日が嬉しいものだと思う日が来るとはな…」
花束を受け取るのも忘れてエイミを抱きしめました。
彼の腕の中で、エイミは、早く受け取ってくれないかなと思いました。





<あとがき>
 ソウルキャリバー2〜4の話より2年前のお話です。ラファエルとエイミが出会ったのが、イヴィルスパームのあった7年前だと思われるので、二人が出会ってから5年目の話ですね。公式のストーリーでは、二人が貧民街で出会ってからラファエルが南仏の屋敷を後にするまでの時系列は曖昧なので、曖昧なのをいいことに好き勝手に想像しました(笑)
ラファエルの誕生日については、ラファエルが自分から教えるということは考えにくいし、かといってエイミのほうから尋ねることもなさそうだし、エイミがラファエルの誕生日を知るとしたら、出会ってからかなり経ってからなんじゃないかと思うのです。そんな妄想に基づいて書いてみました。
ラファエルが植物に詳しいという描写は、彼が医学を好んでいるところからです。科学が十分に発達していない当時、毒にも薬にもなる植物は、医学とは切っても切り離せないものであったのではないかと思います。
後半のラファエルがかなり感情豊かになっていますが、彼が本当に感情豊かになれるのはたぶんエイミの前だけなのではないかと思います。それ以外の場面では、感情豊かな青年を「演じる」ことはあっても、たぶん腹の中では毒殺する機会を伺っているのでしょうね(笑)。
 当主時代のラファエルが頭の中で詩を諳んじていた『チヤールやロンサール』は、ポンチュス・ド・チヤールとピエール・ド・ロンサールです。適当にラファエルと同時代に生きていたと思われるフランスの詩人の名前を並べただけですので、私は、彼らの著作物の内容については知りません。ラファエルのイメージと合ってなかったらごめんなさい。





Text by Yuhki
Background by RHETORIC
2008/02/05

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