【家庭内ストックホルム症候群によるティラの虚勢】 『家庭内ストックホルム症候群』という言葉があります。ストックホルム症候群というのは、人質が犯人に感情移入したり犯人に好意を持ってしまう現象のことで、なぜそうなるのかというと、人質にとっては、犯人を嫌いになるよりは好きになったほうが、生存の可能性が高まるからだそうです。 このような現象は家庭内でも見られ、子供は、親を嫌いになるよりは好きになったほうが、生存の可能性が高まるので、本当は親や親の要望が嫌いであっても、好きなのだと思い込んでしまうことがあります。これが家庭内ストックホルム症候群です。子供は、親に見捨てられたら生きてはいけません。子供の生死は親が握っているのです。この場合は、親が犯人で子供が人質なのですね。 そこで、ティラの幼少期ですが、ティラは暗殺組織に暗殺者として育てられました。孤児だったところを拾われたのか、暗殺者の親の元に生まれたのかはわかりませんが、ティラの周囲の大人は、彼女に暗殺者であることを求めたのです。ティラは無意識のうちに「人を殺さなければ振り向いてもらえない。暗殺者でない自分など何の価値も無い。殺さなければ見捨てられてしまう」という思いを抱いていたのかもしれません。暗殺者になることは、彼女自身が望んだことではなく、周囲の大人が彼女に望んだことだったのですが、幼かったティラは、組織の中で自分が生き残る為に、周囲の大人たちの承認や愛情を得る為に、「私は『仕事』が好きなのだ」と自分自身に思い込ませていたような気がします。 【幼児的万能感による精神のバランスの崩壊】 赤ちゃんから幼児期にかけての環境では、お腹が空けばミルクを与えられ、排泄物で気持ちが悪ければオムツを替えてもらえ、寂しければあやしてもらえます。自分からは何もしなくとも、周囲から無限かつ無条件に受け入れられ、誰からも自分を否定されることのない世界です。なので赤ちゃんは、「自分は何でも出来る」「自分の望むものは与えられる「自分は無限に受け入れられる」といった感覚を持っています。このような感覚を『幼児的万能感』と言います。 やがて成長するに従って、世の中には自分の思い通りにならないことがあると気付き、幼児的万能感は徐々に修正されてゆきます。そして、お腹が空けば自分でご飯を用意し、ある程度の寂しさは自分一人で耐えられるようになり、望むものがあれば自分で努力して手に入れるか、どうしても手に入らなければ諦めるというふうに、肉体的にも精神的にも自分の世話を自分でするようになります。これが大人になるということですね。 ところが、何らかの原因で、この幼児の世界観から大人の世界観への移行が上手くいかない人がいます。ある程度成長した年齢になっても、幼児期の世界観から抜け出すことができないのです。当然ながら、周囲の人たちは、成長してしまった人間に対しては赤ちゃんのように世話を焼いてくれません。しかし、幼児期の世界観から抜けられない人は、相手が自分の望み通りにしてくれない、自分が受け入れられない、否定されてしまうという現実に耐えられないのです。 そういった現実にぶつかったとき、幼児ならば親が慰めて励ましてくれます。精神的に成長すれば、自分で自分を慰め励ませるようになります。しかし、幼児的万能感が修正されないまま肉体だけが成長してしまった人の場合は、慰めてくれる親もいなければ、自分で自分を慰めることもできないで、精神のバランスが崩壊してしまうのです。 ティラの場合は、ありのままの自分を認めてもらえない、暗殺者としての自分でないと認めてもらえないという環境が、彼女の精神のバランスを崩壊させる要因だったのでしょう。幼児期に幼児的万能感を十分に満たしてもらえなかったため、、未だに幼児期のような受け入れを求め続け、かつて満たされなかったものを追い求めているように見えます。 【ティラの躁鬱症】 自分で自分を受け入れられないとなると、自分を無限に受け入れてくれる世界を夢想するか、自分を受け入れてくれない現実に絶望あるいは憎悪するかということになりがちです。前者が躁状態のもととなり、後者が鬱状態のもととなります。 どちらか一方の症状が見られる場合もありますし、躁と鬱、両方の間を行き来する人もいます。ティラの場合は後者でしょう。 幼児的な世界観での受け入れとは、100%の受け入れです。少しでも拒否されてしまうと、それは受け入れではありません。 大人の世界観では、自分も他人も、良いところもあれば悪いところもあり、この部分では受け入れられるが、他の部分では受け入れられないという付き合いです。100%良い自分でないと受け入れられないということもありませんし、他人に対しても100%は望みません。 しかし、幼児的万能感の持ち主にとっては、100%の受け入れでなくてはならないのです。少しでも悪いところがあれば0も同じなのです。100か0かという両極端な思考になってしまうのです。 そのため、相手が自分の思い通りになっているうちは機嫌が良いのですが、相手が少しでも意に沿わない態度を見せると、途端に機嫌が悪くなり、絶望と憎悪が湧き上がってくるのです。 【殺す瞬間の感覚への依存】 自分の精神をを支えるものがない人は、依存症になりやすい傾向があります。幼児的万能感が修正されていない人にとっては、この世は耐え難いことばかりです。耐え難いことから一瞬でも逃れようとするあまり、確実に自分の期待に答えてくれるものに依存してしまうのです。これらは、自分を受け入れて、慰めて励ましてくれる存在の代わりであり、受け入れてもらえないことに対する怒りや悲しみを、依存対象で発散させたりするのです。 依存の対象となるものは、アルコール、麻薬、ギャンブル、リストカットなど、人によって様々ですが、彼女の場合は、殺人の瞬間の強烈な刺激が中毒となっているようです。 人に依存したくても、100%受け入れてもらうことなど不可能なので、モノや行為に受け入れを求めてしまいますし、例えばアルコールは飲めば酔えますから、そのほうが確実なのです。 【小鳥を逃がした行動と里親の殺害】 ティラは、暗殺組織の崩壊後、しばらく里親に拾われて過ごし、その家の子供が飼っていた小鳥を逃がしてしまったことで里親にきつい叱責を浴びせられ、それがきっかけでその家族を殺してしまったという経験があります。 ストーリーには、なぜ飼っていた小鳥を逃がしてしまったのか、彼女自身もよくわからないとあります。自分の中の「暗殺組織に与えられた価値観から自由になりたい」という無意識の願望を小鳥に投影させていたのかもしれませんが、私は、わざと嫌われるような行動をして、相手が自分を見捨てないかどうか確かめる、『試し行動』なのではないかと思います。あるいは、自分以外に里親の愛情を受けている子供に対する嫉妬もあったのかもしれません。里親が自分を見捨てないかどうか、自分を無限に受け入れてくれるかどうか、他の子供より自分を優先してくれるかを、無意識に試しているのです。 結果、里親はティラを叱責しました。里親の行動はごく普通の行動なのですが、幼児的万能感が修正されていない人間にとっては普通ではありません。例えば、赤ちゃんが何かを壊したとき、それは壊されては困るものを赤ちゃんの手の届くところに置いていた周囲の人間が悪いのであって、赤ちゃんが悪いのではないのです。100%の受け入れでないと受け入れにはならないので、部分的に否定されただけでも、全てを否定され拒絶されたような気になってしまうのです。 「この人も私を見捨てる人だ。私を受け入れてくれない。」というような、激しい絶望感と憎悪が、当時の家族に手をかける行為に至らしめたのではないでしょうか。 里親の殺害以降、ティラは他人とは相容れない放浪の生活を送るようになります。この世界には自分を受け入れてくれる人などいないという思いからだったのでしょうか。しかし、完全に受け入れてもらえる世界に対する未練はまだ残っていたようです。それがソウルエッジとの接触の動機であるように思います。 【ソウルエッジへの依存】 幼児期の、無限に自分を受け入れてもらえる世界への憧れから、相手を理想化して見てしまうことがあります。 無限に受けれてくれる母親の役を相手に割り当てて、実際に相手にその気はなくても、「この人はきっと自分を受け入れてくれるはず」と思い込むのです。相手を見るよりも自分の願望が先に立っているのです。 ティラの場合は、ソウルエッジにその役を割り当てているのかもしれません。 しかし、自分の願望を割り当てているだけであって、実際の相手はそうではありませんし、相手が自分にとって100%良い態度をとり続けてくれるわけでもありません。そういった兆候が見られても、始めのうちは、「そんなはずはない。相手は私のことを受け入れているはず」と思い込めますが、自分のことが受け入れられていなかったということを思い知らされると、今度はたちまち相手が憎悪の対象になってしまいます。 ソウルエッジの僕として傍にいることが許されているうちは、まだ幻想の世界にいられますが、ソウルエッジから見放されてしまうようなことがあれば、激しい精神の崩壊と、絶望と憎悪の波が押し寄せてくるのではないでしょうか。 ティラとソウルエッジの関係は、脆くて危うい砂上の楼閣のようなものなのかもしれません。 そして、ティラとソウルエッジの関係は、かつて彼女が暗殺組織にいた頃の、周囲の大人と彼女との関係に非常によく似ています。暗殺組織の手足であった彼女は、現在再び邪剣の手足となっています。 ティラは、他者からの承認を渇望していますが、彼女が唯一知っている承認を得る術は、自分を殺して相手の忠実なる使途となることなのです。 ティラが本当に自分を受け入れて欲しいのは、ソウルエッジではなく、かつての暗殺組織なのではないでしょうか。幼いころの関係を再現し、ソウルエッジを介して、再び暗殺組織の大人たちに受け入れてもらおうとしているようです。 【ソフィーティアへの憎悪】 ティラは、ソウルエッジと遭遇してからは、ソウルエッジに受け入れられたと思って幸せなつもりでいたのではないでしょうか。しかし、そんなティラを見てソフィーティアは「幸せを知らないのね。可愛そうな子」と言います。今のティラの笑顔が偽りであるということを、ソフィーティアは見抜いたのです。 実はティラ自身も、薄々それをわかっているのではないでしょうか。ソウルエッジに受け入れられたのではなく、ただ単に利用されているだけということ、自分がソウルエッジにとって必要がなくなれば、あっさりと見捨てられてしまうこと、本当に自分が求めているものは、相手の思い通りに動く手足となって得られる承認ではないこと。しかし、その現実を直視する勇気は、今のティラにはありません。もしそれを直視してしまうと、激しい絶望感と喪失感に打ちのめされて、精神のバランスが崩壊してしまうのです。それを防ぐために、今の自分は幸せだと、自分自身を偽って思い込ませているのです。 ソフィーティアの一言は、ティラに現実を突きつけるものでした。図星を突かれたのです。その時のティラには、ソフィーティアが、自分の世界を壊そうとする者に見えたのではないでしょうか。だからあんなに激しい憎悪が湧き上がってきたのでしょう。 幼児的万能感が修正しきれていない人は、他人に対して、自分を受け入れてくれる人の役を割り当てるように、自分を見捨てて拒否する人の役を割り当てることもあります。悪いことはみんなその人のせいにして、精神のバランスを保とうとする為です。 もしかしたら将来、ソフィーティアが、ティラの憎悪を背負う役を請け負うことになるかもしれません。 さて、長々と書いてまいりましたが、私の勝手な願望としては、ソフィーティアへの憎悪とその子供たちへの執着を見せたあと、ソウルエッジに盛大に裏切られ、絶望と憎悪からソウルエッジ破壊を目指すようになり、最終的にソフィーティアによって癒され更正する・・・という展開になると、面白いかなと思っています。 何にせよ、ティラは実に不安定なキャラクターで、それゆえ今後の展開が楽しみなキャラクターでもあります。 まあ、ティラという子は、架空のキャラクターだからこそ安心して見ていられるし、そこが魅力だとも思うのですが、現実にこんな人が周りにいたら、私は絶対に関わりたくありませんね(笑) |